
京都国際マンガミュージアムで、池田理代子さんの『ベルサイユのばら』のトークショウがあった。
4時からの開演のために10時10分にミュージアムに行って整理券をもらう。
すでに大勢の人が来ていて、整理番号が78番だった。
いったん、ミュージアムを出て、喫茶店で、ツバイクの『マリーアントワネット』を読む。
この歴史小説に想をえたとはいえ、池田理代子さんは実在の人物に、なんとみごとな登場人物たちを織り込んでいったことか。
待ちかねたトークは大変興味深いものだった。忘れないうちにそこでの話の内容をいくつかを書いておこう。
登場人物を作るのは、論理的にやっているとのこと、マリーアントワネットの近くでその相手をしている人物がいるだろうから、そこでオスカル。オスカルの相手をしている人物としてアンドレ、という具合。そうやって枝葉をひろげるように広がった人物をこんどはまとめるようにする。マリーアントワネットの最後の世話をしたロザリーという田舎娘を、首飾り事件のジャンヌの妹としてまとめる。マリーアントワネットを助けようとしたジャルジェ将軍の娘をオスカルにする、というぐたいに、枝分かれした人物たちを、まとめて同じ人物にしていく。
里中真智子さんも同じことをしているようだが、人物の表情を描く時に、机のうえにおいた鏡にむかってさまざまな表情をして、その自分の顔をみながら描いている。
演劇的なのか、という質問に対しては、自分は大柄なのでいつも学芸会のお芝居で役をもらえたが、すぐに下ろされていた。役者としては大根だった。ただここでロング、ここはアップ、ここは下から撮るという風に、すぐに浮かぶ。また最近はオペラを演ずるだけでなく演出もしている、とのことだった。池田さんには、きわめて演出家的な発想力がはじめからあったようだ。
声楽家として活動できる時期は限られているので現在は、声楽活動をしている。演出もしているが、演出をつけるとき、絵に描いてみせることがあり、その方が話が早かったりする、とのことだった。
また池田さんいわく、描いているときにはそれぞれの人物の気持ちになりきっている。だから、どの登場人物も、たとえ悪役であろうと、それぞれに好きである。だから池田理代子にはほんとうの悪人が描けないと言われるのだけど、とのことだった。
当初Gペンもつかったが、ふつう和筆をつかっている。髪の毛などは丸ペンをつかっている。描くときは全身の力を手首でうけとめて、そこでおしとどめて繊細な線を描いていく。体力が落ちてからうまい線が一時描けなくなった。いい和筆をまたみつけることができたのでまた細い線が描けるようになった。筆がとても大切である。
色は水彩絵の具。とくに日本画につかう絵の具が具合がいい。
アシスタントは当初は1人、最後のころは3人くらい。少女マンガは顔、とくに目が命なので、自分で描かなくてはいかない。少女マンガでは分業はしづらい。当時、マーガレットの表紙を飾っていた作家(失念!by私)をみると、まつげの一本一本のさらに下に、セピア色のまつげが描いてあった。自分も神経をこめて、一本一本を描いていた。
週刊でマンガを描くということは生活のすべてを犠牲にしなくてはできなかった。仲間の作家で、このままでは自分の世界は窓から見える四角の世界になってしまうと言って廃業した人がいる。漫画家仲間では3ヶ月で離婚した人もいる。当時の少女マンガ家の気ばらしは、編集者にデパートの遊園場に連れて行ってもらうことだった。
連載中はクーラーもなく、ねじりはちまきで首や手にもタオルを巻き、汗が原稿用紙につかないようにした。
絵のデッサンが狂っていないかは絵から遠ざかって見る必要がある。しかし老眼になりはじめて、絵を描く時には、まるで棟方志功みたいに原稿用紙に顔を近づけている。ともあれ、仕事場での自分の姿は人にはみせられない。
仕事場から出られないので電話魔が少女マンガ家には多かった。(収入が増えたらまず最初に電話を買った。仕事は電話からやってくる、というのが漫画家仲間の言い回しだった)。池袋に住んでいた里中真智子は、「池袋の電話魔」といわれていた。里中さんとは8時間電話したことがある。途中トイレにいったり、話すことがなくなったから歌でも歌おうかと歌ったこともある。
いつ、ベルばらを描こうとおもったか。17歳の時、夏休みの課題図書のツバイクの『マリーアントワネット』を、千葉の柏市の巡回バスの中で読み終えた時、マンガか映画かお芝居かわからないけど、とにかくこれを作品にしようと決意した。『ベルサイユのばら』という題も、その時に決めた。21歳で「大型新人」としてデビュー(4回ものの連載と別冊読み切りでデビュー)し、実績を積んで24歳で、週刊マーガレットで、ベルばらを連載を始めた。当時は、女子供に歴史物などできるかという風潮でそれをはじき飛ばしたいという思いだった。
また当時は、マンガの地位は低く、少女マンガはさらに低いという風潮だった。それをはねのけたいという思いがあった。
大ヒットは予想していたか、という質問に対して、予想していたとの答え。またヒットしなくて連載をつづけられなかった。しかし、マーガレットの読者対象は12歳くらいまでの女の子だったが、それよりも年配の女性、さらには男性の読者からも反響があったことは予想外だった。さらにきわめて日本的な自分が描いた作品が、イタリアやフランスなどの外国から反響があるとはおもってもいなかった。(イタリアの文学のシンポジュームにも呼ばれた)。
祖父が職業軍人なので、その写真や軍紀などがとても参考になった。
オスカルの人物像には、ジェンダーにしばられない人間を描きたいという思いがあった。
少年愛もの、というくくりには反対。萩尾望都さんの作品もけっしてそうしたジャンルを描こうとしているのではないだろう。あくまでも人間のありかたとして描いているのだろうし、すくなくとも自分は人間を描こうとしたのである。
大月(マンガ夜話司会者)の質問。ベルばらは子供向きとして描いたのか?答え:マーガレットの読者である少女向けに描いた。『オルフェウスの窓』は、少女マンガの枠を超えざるを得ないと感じ、月刊で連載した。
性同一性症候群については、『クローディーヌ!』で描いた。
トークショーの終わりに、池田さんは、じつはファンや読者の集いで話すのはこれまで好きではなかった。これまでかならず、あなたなんか〇〇先生に比べたらたいしたことないわ、とかいうような人がいたりした。作品を評価するときには、自分の好き嫌いだけで評価してはならない。自分は好きだけど、作品としてはたいしたことないというものもあれば、自分は好きではないけど、作品としては優れているというというものもあるのだから。今回のトークショウは偏狭なファンではなくて、よく読んだ上でのいい質問をしてくだり、たいへん気持ちのよい会でした、とのことだった。好き嫌いでの評価でなく、普遍的な作品評価が必要、というのはほんとうにわが意を得たりの気分だった。
たいへん、充実したトークショウだった。池田理代子さんはほんとうすばらしい作家なのだと感服した。
『ベルサイユのばら』はまさに少女マンガの「革命」だったのだなと思った。
さっそく、帰りに、『オルフェウスの窓』と「クローディーヌ!」が収められた『池田理代子短編集3』を購入。